2010 7/18(UP!)

16時頃:今日は新宿福興教会の礼拝に出席するために職場を出て、新宿駅に向かった。

16:45頃:予定より15分程遅れて教会に着いた。子供達を含む15名近くが集っていて、讃美をしていた。それから約15分あまり、讃美をしたが、

途中、小学生の先生の娘さんが先生に代わって奏楽するシーンがあり、(将来娘さんが全面的に奏楽を担当される時が来るかもしれないな)と思った。

17時すぎに予定通り夕礼拝が始まった。讃美の後、「まことしやかな嘘」と題してヨハネ12章1〜19節から菅野先生がメッセージをされた。「食

卓でマリヤが香油を注ぐということは、常識ではふさわしくありません。そんなことをしたら、食欲がなくなります。私も、飛行機に乗っていて、隣

りの乗客が香りの強い香水をつけていた時には、機内食があまり食べられませんでした」と言われた時は、(なるほど)と思った。また。「(マリヤがそ

うしたように)私達の心の壷を割り、イエスさまに最高のものをささげましょう」と語られたことが印象に残った。一方、後で、(もし自分がこんな

(いきなり頭から香油をかけられる)ことをされたら、服は着替えなければならないだろうし、ニオイもしばらく消えそうにないし、絶対怒るだろう

な…)とも思った(笑)。先生は少しやせられたような気がしたが、入院される前とほとんど変わらない程元気に見えたので、安心した。ただ、奏楽や

メッセージ等を聴いていて,(まだ90%程度の力で(力をセーブして)ご用をされているな)と思った。その後、聖餐式があり、続いて参加者が一人

一人先生に手を置いて祈ってもらう「ミニストーリー」があった。そしてほぼ予定通り、18時30分すぎに終了した。 

18時40分頃:今日の最大の目的である、新松戸教会の会堂建設のための趣意書を先生に渡して後、「宇宙と信仰」と題してネット放送に臨んだ。

今回は2回出演し、最初に「宇宙と信仰」について最新の知見も交えながら話した後、2回目に視聴者からの質問に答える形式をとった。最初は視聴

者からのコメントを見る余裕はほとんどなかったが、2回目は必要なコメントだけを見て、それに応答することが出来るようになり、視聴者とつなが

っている感じが少しだけした。質問にも完璧とは言いがたいが、以前よりも余裕を持って答えられるようになり、十分な備えを持って出演することの

必要性と、十分な備えがなく出演してしまうことの危険性を改めて感じた。

19時20分すぎ:放送終了後、菅野先生と2人で中華料理店で夕食を共にした。夕食を共にするのは1年近くぶりということもあって、様々なこと

を話したが、気がつくと21時半をまわっていた。料理もおいしく,楽しい時を過ごすことが出来た。22時前にはそこを出て、家路についた。

 

2010 6/18

17;45頃:予定よりやや遅く那覇空港に着いた。チェックイン後、空港内の回転寿しで食事をしたが、おいしかったが、やや高かった。

18:20頃:保安検査場を通過し、搭乗ゲートに向かう。予定ではもうしばらくしたら搭乗手続きが始まるはずだったが、悪天候による羽田空港

上空混雑のため、出発が1時間近く遅れることになった。(これ以上遅れるとまずいな)と思ったが、幸いにもそれ以上遅れることはなく、飛行機に

乗り込むことが出来た。週末でもあり、更に次の便から回った人も加わったため、機内はほぼ満席だった。

22時すぎ:最終的に45分程遅れて羽田空港に着き、手荷物引取り所に向かった。(今回は手荷物を預けている人が多いので、回収に結構時間がかかる

かもしれないな)と思ったが、荷物が予想よりはるかに早く出てきたので、行きよりも早く回収することが出来た。それから京浜急行に乗り、行きと

は別の経路で家路についた。

 

2010 6/15

 9時前

 今日は沖縄に出張するため、家を出て、羽田空港に向かった。JR西日暮里駅経由で浜松町駅に向かい、そこからモノレール快速に乗り込んだ。この

日は天気が良く晴れ間がのぞいていた。

10時半頃:予定通り羽田空港に着いた。チェックインを済ませ、搭乗口に向かう。それからしばらくして搭乗案内があったが、なぜか他の人々の出

足が鈍く、トップに近い早さで搭乗することが出来た。席は空席が多く、搭乗率は半分に満たなかった。それからほぼ予定通り離陸したが、すぐに雲

が広がってきて、高度1万メートルに達しても、周囲には白く薄い雲が広がっていた。

14時半頃:那覇空港が見えてきた。周囲の海は青く、空港の周りはエメラルドグリーンできれいだったが、予想以上に風が強く、波も高かったのが

印象的だった。ほぼ予定通り那覇空港に着き、手荷物を受け取ることが出来た。そこから高速バスで琉球大学に向かおうとしたが、バス停の位置がわ

かりにくく、ようやく着いた時には次のバスまで30分あまりあることがわかり、結局モノレールでおののまち駅まで行き、そこからバスで行くこと

にした。2両しかないモノレールの中はかりゆしウエアを着た地元の人が結構乗っていた。

15時20分頃:思ったより早く、おののまち駅に着いたが、乗るべきバス停の位置がわからず、結局タクシーで大学に向かうことにした。この時はま

だ曇りで、幸いにも雨は降っていなかった。結局予定より30分程遅く、16時前にようやく琉球大学に着いた。

18時頃、琉球大学を出て、那覇市内のホテルに向かい、19時頃着くことが出来た。それからホテルを出て国際通りに向かい、おみやげを買った後、

夕食を食べて21時前にはホテルに戻った。

6/5

 12時すぎ:日本基督教団大阪教会で行われる結婚式に出席するため新幹線でJR新大阪駅に向かい、そこから御堂筋線で本町駅に向かった。

そこから四ツ橋線の本町駅に向かったが、かなり遠く10分近くはかかってしまい、(別の経路で行った方が良かったかな)とも思った。しかし

次の肥後橋駅に着いてからはほとんど迷うこともなく、ほぼ予定通りに教会に着くことが出来た。

12時50分すぎ:受付を済ませ、会堂左手から入ってみると、既にたくさんの人が来ていたが、席にはまだ余裕があり、この時点では(百数十

名位かな)と思っていた。しかし、その後次々と席が埋まり、最終的には会堂内9割近くの席が満たされ、300名近くが集っていたようだった。

13時:日本基督教団大阪教会主任牧師岡村先生と在日大阪教会主任牧師鄭先生の2人の司式により予定通り日本基督教団大阪教会副牧師村上先生

の結婚式が開始された。奏楽のうちに新郎の村上先生が会堂前方から、新婦の在日大阪教会副牧師朴先生が会堂後方の正面入り口から入場した。讃

美歌488(韓国讃美歌288番)を讃美した後、ローマ人への手紙8章31〜39節が韓国語で読まれた。司式者の祈りの後日本基督教団大阪

教会聖歌隊により讃美歌第二編161番(韓国讃美歌40番)が歌われた。それから式辞が読まれたが、

「通常ですとここで『結婚する夫婦への勧め』が語られる所ですが、お二人は牧師であり、また後に述べられる『家憲』にも重なるので、今回は省

略します」と語られたのが印象に残った。今後お二人は牧師として結婚式を司式する立場になるので、なるほどと思った。

指輪の交換に続いて婚姻届への署名がなされた。自分達の時は結婚式の中では署名はしなかったので、(これもなかなかいいな)と思った。

その後司式者による「結婚宣言」があり、続いて在日大阪教会青年会による讃美「勇気を出して」があった。それから結婚した2人の「家憲」

(家の憲法)が2人によって朗読されたので、(珍しいな)と思った。

それから讃美歌502番(韓国讃美歌274番)、541番(韓国讃美歌6番)を讃美し、祝祷の後、新郎新婦が退場した。最後に新郎の父親が

挨拶し、式が終了した。

 

14時前:会堂内での記念写真撮影がようやく終わり、一階で行われる茶話会に出席するため階段を下りた。広い会場内の四角いテーブルは既にか

なり埋まっていたが、正確な数は不明だが、150〜200名位はいるように思われた、

14時30分:日基大阪教会の役員の司会で予定通り茶話会が始まった。最初に「主われを愛す」(讃美歌461番、韓国讃美歌411番。1、4節のみ)を

歌った。司会者の祈祷の後、祝電が披露され、それから韓国の正装に着替えた新郎新婦が入場したが、(2人ともこちらの方がより似合っているな〜)と思っ

た。続いて司式者によって2人の略歴が紹介された。それから清水ケ丘教会主任牧師の島田先生らによる祝辞があった。途中、ゴスペル(チーム期待(キデ))

による讃美があり、最後に東神大同窓生による特別讃美(「主よ、わが見し夢」)があった。それから新婦の父親から挨拶があり、続いて新郎が挨拶し、新婦が

これを韓国語に翻訳していたが、話しが自分に及ぶと「これは翻訳するのが難しいです」という一幕もあり、微笑ましかった。されからチーム期待のリード

で「きみは愛されるため生まれた」を全員で日本語及び韓国語で讃美した。最後に在日大韓基督教会元総会長楊牧師が祝辞を述べ、閉会祈祷を行って終了した。

それからしばらくして肥後橋駅から西梅田駅に向かい、そこからJR大阪駅経由で新大阪駅に向かったが、(この方が早いな)と思った。そこから新幹線で家路

に着いた。

 

2010 5/2

 8時前:今日は久しぶりに3人で清水ケ丘教会の礼拝に出席するため、まず、私と娘が「子どもの教会」の礼拝に出席するために横浜駅を目

指した。大手町駅から三田駅を経由して京浜急行で横浜駅に向かい、ほぼ予定通り9時前には教会に着いた。娘は今年度から小6〜中3までの

「大麦クラス」になるため、(礼拝堂地下一階にある)ミッションホールに向かったが、当初は誰も来ていなかあった。しかし、間もなく3人の

男子生徒が来て、そのすぐ後にスタッフの兄姉が来られた。その後2人の女子生徒も来て、娘も含め6名で礼拝が行われた。最初にワーシップ

ソングを讃美した後、娘が奉仕して献金の時を持ったそれからスタッフの姉妹によってマタイ28章16〜20節から「大宣教命令」という

テーマでメッセージがあった。メッセージの中で「まず、自分がクリスチャンであることを周囲の人に表明すること自体が大きな証しとなりA

伝道への第一歩となる。(中学生の時にクラスの中で手を挙げて表明出来た)自分もそうだったが、主は(表明するのに)必要な勇気を与え、

助けて下さるので安心していい」と話されたことが最も印象に残った。暗唱聖句を行った後、生徒達に自分がイエス様を伝えたい人を紙に書き、

男女2つのグループに分かれて祈る時を持った。娘は学校での友人等、5人程あげていたようだ。

10時半前:第二礼拝に出席するために1階に行くと、会堂左手後方に既に両親がいたので、隣の席についた。それから少しして妻が入ってき

て娘の隣に座った。それから予定通り第二礼拝が始まった。讃美の後、第一コリント13章8〜13節が読まれた。それから上記の箇所から「幼

子のように」と題して島田牧師が説教をされた。「私達は鏡におぼろに映ったものを見ているように、未だ成人の域には達していないが、キリ

ストの言葉をもって語り、キリスト(の心)を心とすることにより、キリストによって示された『愛の道』へ歩み出そうではないか」と語られ

たことが印象に残った。その後、聖餐式に預かったが、両親と共に受けることが出来、感謝だった。それから報告の時となったが、数名の新来

者が与えられていて、嬉しく思った。

12:30 父と一緒に壮年会に出席した。約30名が集い、壮年会長の司会の元、「『迷い出た羊』と共に」というタイトルで元小学校教員の

兄弟が証しされた。次に「黙示録の小アジアにおける七つの教会:地理的状況や現況(小アジアを旅して)」と題して聖書研究が行われ、3月

に小アジアを旅行された兄弟から非常に良くまとめられたレジメに基づいて、黙示録2章に登場する7つの教会について学び、またそれに関す

るビデオを観た。ビデオの起動に少し時間がかかったものの、現地の映像と優れた解説が印象的だった。ただ、時間の関係からビデオが最後ま

で観れなかったのは少し残念だった。

14:30すぎ:予定よりやや遅れて終了し、私達は両親と分かれて教会を出て、野毛山動物園に向かった。動物園までの坂を娘と私が先行し

たが、15時すぎには着くことが出来た。園内は絶好の行楽日和とあって予想以上に混んでおり、動物との「ふれあい広場」で後から来る妻と

待ち合わせることになっていたが、(これでは会えない可能性もあるな)と思った。しかし、30分程待った後、妻と合流することが出来た。

お目当てのニワトリにさわれなかった娘は少々残念がっていたが、ひよこやマウスなどを抱き上げ、満足そうだった。それから爬虫類館等を見て、最後は娘のおみやげとしてカメのぬいぐるみを買い、閉園直前に動物園を後にし、実家に向かった。

 

2010 4/26

 8時すぎ:今日は午後から粉瘤の手術をするために前日から泊まっていた実家で朝食をとった。この日は天気が良く、母が出かけた後、お昼

に父と一緒にラーメンを食べた。それからバスで市内の病院に向かった。

14時半すぎ:予定よりやや早く病院に着き、受付をすませた。血圧を測った後、15時すぎに診察室に呼ばれた。患部を観てもらったが、幸

いにも数週間前よりはかなり小さくなっていたので、結局取りやめとなった。

16時前;会計を済ませると、病院を出て、横浜駅に向かった。それから実家に向かったが、途中で本屋に立ち寄った。16時40分過ぎにはそこを出て、公園内の竹林を歩いたが、たくさんのたけのこが顔を出しており、中には歩道のアスファルトを突き破っているものもあり、春を感じた。17時前に実家に到着した。

 

2010 3/28

18時30分すぎ:ホテルから夕礼拝に出席するために日本キリスト教団岡山博愛会教会に歩いて向かった。途中まで市電の線路

に沿って進み、最後に橋を渡ったが、降りてすぐ教会の案内が目に入ったのでほとんど迷うことなく、19時少し前に着くことが

出来た。子供も含め10名程が集って間もなく礼拝が始まり、菅野先生に似た年格好の増田牧師が(菅野先生同様)自らピアノを演奏されていたのがとても印象的だった。それから「タンバリンと踊りで」、「マジェスティ」、「御国ヘイエスの中に」、「主イエス神の愛」の4曲を讃美し、ピリピ2章1〜11節から「偉大なる愚かさ」というタイトルで増田先生がメッセージをされた。先生

の口を通し、まるで主ご自身が語られているかのような感じを受け、(ああ、ここ(の礼拝)に導かれて本当に良かったな〜)と思った。メッセージの中で「人間の集まりである以上、教会と言えども、問題が起こるのは完全には避けられない。その解決にはまず、キリストに目を向け、キリストの想い(心)を持つことが必要で次に「キリストを模範ニし、その謙遜さに倣う者となることが望まれる。そしてこの謙遜さが教会に一致をもたらし、(お互いが)高められていく」と語られるのを聴き、自分にとって最も必要なことが語られているな、と感じた。その後「主の愛が今」を讃美して20時10分頃に終了した。その後「星のトンネル」のイラストをc師の息子さんにプレゼントしたら、とても喜んでくれ、嬉しかった。また先生に「みのりの詩」も紹��o来、感謝だった。それからホテルに向かい、21時前には着くことが出来た。

3/27

7時前:今日は岡山出張のため、家を出て、東京駅に向かった。外は晴れていたが、肌寒かった。予定通り、八時前には着き、新

幹線で岡山に向かった。予定通り岡山駅に着き、コインロッカーに荷物を預けた後、12時前に「うどん定食」を食べ,岡山後楽

園に向かった。12時40分すぎに到着したが、桜は平均4〜5分、最大6〜7分咲きと、思ったよりは咲いていなかった。晴れ

てはいたが、その割には気温が低く、この気温の低さが影響していたのではないかと思われた。園内奥の桜が最も開いている付近

の芝生に座って13時40分頃から絵を書き始めた。15時前には下書きを終え、後楽園を後にした。15時40分頃には岡山駅

に戻り、コーヒーブレイクした後、16時半頃ホテルに着いた。8時40分頃ホテルを出て、岡山駅に向かい、本屋さんに寄った後、少し離れたファミリーレストランに向かったが、途中道に迷ってしまい、何と予定より1時間半もオーバーする21時前にようやく到着した。夕食後、ホテルに戻ったが、行きより大幅に早く、30分程でホテルに戻ることが出来た。

2/28

12時半頃:清水ケ丘教会での礼拝後、父一緒に淀橋教会で行われるケズィックコンベンション東京大会に参加するために会堂

を後にした。近くのレウトランで昼食をとった後、13時すぎに南太田駅から横浜駅に向かった。そこから東横線で渋谷駅に向か

ったが、特急にすぐ乗ることが出来たので、(これは予定よりかなり早く会場に着くな)と思った。渋谷駅は多くの人で混雑して

いたが、JRに乗り換えて大久保駅に向かった。

14時前:大久保駅に着き、一旦会場に向かった。しかし予定より30分以上早く着いたので、菅野先生の教会に立ち寄ることにした。14時6分頃:新宿福興教会に着いた。しかし、会堂の中は照明はついているものの、カギがかかっていたので、(多分ネト放送中なのだろう)と思った。自分だけならもう少し粘った所だが、父も一緒だったので、またの機会とし、淀橋教会に戻ることにした。

14時20分すぎ:淀橋教会の敷地内の地下にあるファミリーレストランでコーヒーブレイクをした後、14時40分すぎに

会場に向かった。この時点では会場内は1/4程度しか埋まっていなかったが、開始時間が近づくにつれて次第に増え、最終的に

は2/3程度の席が埋まり、300名程度が参加したものと思われた。しかし、満席にはほど遠く、(もったいないな〜)と思うと同時に、(もしかしたらこの後(17時開始予定)の集会の方が人数は多いかも知れないな)と思った。

 

15時:予定通り集会が始まった。新聖歌389、405番を讃美し、救世軍の先生の祈祷があり、メッセージの聖書箇所であるエペソ5章15〜31節が朗読された。それから救世軍バンドによる特別讃美が3曲あったが、とてもよく訓練された、素晴らしい讃美で、2曲目の終わりに自然と拍手がわき起こった程だった。

淀橋教会主任牧師の峯野先生による講師のブレディ博士の紹介後、ブレディ師のメッセージがあった。

18節にある「御霊に満たされる」ことは全てのクリスチャンに向かって語られていることであり、(単に一度満たされるだけでなく)御霊に「満たされ続ける」ことが必要である。教会や(そこに集う)人が「御霊に満たされるとまず、「礼拝にいのちが通う」ようになり、(自分の力では決して出来なかった)「新しい力」」が主によって与えられる。また「御霊に満たされる」ことは実践的で、職場や家庭内で自分がなすべき使命を知り、自分の力ではなく主の力によって行っていけるようになる。またその働きが一人一人異なる「個人的なこと」でもある」と力強く語られたことが特に印象に残りました。ただ、通訳の先生と事前に十分な打ち合わせが出来ていなかったためか、語られる言葉の霊的ニュアンス及びパワーまでは十分伝わって来なかったので、(通訳の先生と事前に十分コミュニケーションがとれていればもっと良かったかもしれないな)と思った。

それから会衆全員で数分祈った後、讃美をして、予定より10分あまり遅れて16時40分すぎに終了した。その後まもなく父と一緒に新大久保駅に向かい、渋谷駅まで送っていった。それから職場に向かい、一仕事してから家路についた。

 

2010 1/30

9時15分すぎ:今日は「どうぶつ奇想天外!」等でおなじみの千石正一先生カの講演会を聴きに娘と一緒に松戸駅に向かった。予定通り10時15分前に着いたが、400〜500名は入ると思われる会場内には既にたくさんの親子連れが来ていた。

10時すぎ:予定より若干遅れて講演会が始まった。松戸市長のあいさつの後、千石先生が手を振りながら登場してきたが、足元がふらついていた。これを見て,

やはり(聞いていた通り)体調が悪いんだな、と思った。それから「千石先生のいきもののふしぎ-いのちはみんなつながっている-」というタイトルでスライドを使って1時間近く話して下さった。ライオンや日本オオカミ、ヘビなどは天敵となっている動物の中の弱いものを補食し、数が増えすぎないようにしており、人間が(その動物を増やそうと)これらの天敵を大幅に減らしてしまうと、一時的には増えるものの病気が蔓延するなどして却って減ってしまう—など、とても興味深く話して下さり、終了後も、もっと話しを聴きたかった、と思った。11時すぎから「質問タイム」となっが、最初は少なかったものの、少しってからはたくさんの子供達が手をあげ、様々な質問をしており、その一つ一つに千石先生が丁寧に答えておられる様子が印象的だった。おそらくご本人の体調のヨ係で講演時間が予想よりも短かったのはちょっと残念だったが、一方、質問の時間が十分あったのは良かったと思う。そして予定より若干早く、11時半前に終了し、家路についた。

 

2009 12/24

18時40分頃:父と一緒に近くのそば屋に行き、かけそばを食べた。そばが届くまで少し時間がかかったが、何とか5分前にはそこを出て、教会に戻ることができた。既に会場内には第一礼拝より多くの人々が集っていた。19時すぎにはほぼ予定通りに第二礼拝が始まった。招きの言葉としてイザU0章1〜4節が朗読された後、ヘンデルの「メサイヤ」から島田勝彦牧師の独唱が行われたが、美しいテナーが響き渡ったので驚き、(相当練習されたんだろうなと)感心させられた。続いて聖歌隊による合唱、ベースやアルト、ソプラノの各兄姉による独唱があた。それから婦人会による讃美歌第二編56番の合唱が始まったので、会場前方に移動した。次の壮年会による合唱に備えるためである。それから間もなく聖歌隊の男子のメンバや父も一緒に讃美歌21 241番を讃美した。この日の聖歌隊以Oのメンバーでの練習では上手くいったが、本番では1番と2番の間で聖歌隊のメンバーとの呼吸が会わず、上手く出ることが出来なったのが少し残念だった。しかし2番と3番の間では上手く呼吸を会わせることが出来た。それから島田牧師によりルカ2章8〜14節から「この方こそメシア、救い主」と題してメッセージが行われた。この頃には会堂1階の座席は92%程度人で埋まり、約260名が集っていた。メッセージの中で「普通人が死んだ後は、その誕生日を祝うことをしないが、キリストは一度死んだにもかかわらず、その誕生日を祝う唯一の存在である。それは今も生きている方だからである」と語られたことが最も印象に残った。それから皆で讃美した後、最後に「きよしこの夜」を讃美しつつ前席から順に退場し、ほぼ予定通り20時30分すぎに終了した。

 

12時半すぎ

 クリスマス・イブ当日、清水ケ丘教会でのイブ礼拝に出席するために家を出た。途中、妻から頼まれたプレゼントを買いにお茶の水CLCに立ち寄り、横浜駅に14時半頃着いた。そこから少し歩いて娘へのプレゼントを買うために東急ハンズに向かった。しばらく探した後、予定より早く目的を達したので南太田駅に向かい、喫茶店で休憩してから教会に向かった。

17時頃:第一礼拝の始まる直前に着き、後方の椅子に座ったが、主に子供とその親向け、というプロムラムのためか、この時点では空席が多かった。しかし、次第に席が埋まりはじめ、最終的には200名以上の親子が出席した。少なくとも50名以上の子供がいたと思われるが、その割には静かだった。少年少女の聖歌隊による讃美が始まり、2人の少女により、キャンドルに火がともされた。それから「クリスマスのしらせ」というテーマでスライドに会わせて讃美とページェントがなされた。子供達その様子を熱心に見入っていたのが印象的だった。それから、「ミサンガ」という小さなクマのぬいぐるみを主人公としたアニメーションが上映され、その物語とルカ2章1〜8節から柏伝道師が「飼い葉桶のイエス様」というタイトルでメッセージをされた。「主は私達を救うために律法や預言者など様々なプレゼントをし、最後に自らがイエス=キリストとして(私達にいのちを与えるために)最大のプレゼントになって下さった、そのいのちを受けた私達も他の人々に(役に立つように)仕えていく者でありたい」ということを子供達に向けてとてもわかりやすく話されていたのが印象的だった。それからみんなで讃美をして、島田牧師の祝祷の後、「きよしこの夜」を歌いながら退場し、ほぼ予定通り18時すぎに終了となった。

 

12/13 15:30すぎ

今日は所属教会の日本キリスト教団清水ケ丘教会での礼拝の後、職場に向かい、仕事を住ませた後、高田馬場で行われる日本民族総福音化運動東京ブロック特別祈祷会に参加するため、渋谷駅に向かった。16時すぎには渋谷駅に着いたが、この頃は(このままだと16時半からの集会に少し遅れるだろう)と思っていた。しかし、思ったより早く高田馬場駅に着き、(これなら十分間に合うな)と思った。ところが、改札を出た所で迷ってしまい、違う道を進んでしまった。幸い、すぐに気づいて引き返し、正しい道に戻ることが出来たが、数分をロスしてしまった。やや急な坂を登てしばらく行くと、目標のコンビニが見えてきた。会場はそのコンビニのすぐ近くだった。(ちょっと遅れてしまったな)と思いつつ、クリスマスのイルミーシ��唐ェ輝く建物の左脇のドアを見ると、そこには1枚の張り紙があった。それを読んだ時、自分が2時間近くも早く来てしまったことに気づき、急いでここに向かっているはずの妻と娘に電話した。しかし、つながらなかったので、とりあえず伝言を残したが、はたと困ってしまった。(どうしよう…後2時間近くあるけど、下手に動けば2人に会えなくなるし…かと言って今2人がどこにいるのかわからないし…)。ここは主に聴くしかない、と思い、早速祈ってみると、「(2階にある会場の下の)教会(にいる人)に聞いてみなさい」とのことだったので、張り紙のあるドアの隣のドアから教会の中に入った。予想通り妻達がここを訪ねた様子はなく、それから教えられた通り2階に上がって会場をのぞいてみたが、まだ誰も来ていなかった。それから間もなく再び妻に連絡した所、今度はつながったのでほっとした。「調度高田馬場駅の改札に来た所なので、迎えに来て欲しい」とのことだったので、急いで駅に向かい、合流することが出来た。それから3人で近くの回転寿司屋に入り、夕食をとった。妻の話では、「もし最初ら正しい開始時間を知っていたら、ここに来ることはなかったハズだし、また、あなたからの連絡をもう少し早く受け取っていれば、途中で引き返していただろう」とのことだった。これを聞いて、(今日は主は間違った情報を用いても2人をこの集会に導こうとされたんだな、つまり、それだけこの集会が素晴らしい、ということになる)と思い、期待が更に高まった。

18時30分すぎ

 3人で会場に戻ったが、妻と娘は初めてなので、自分が一緒でなければ迷わずに会場に着くことは困難だった。(一緒に行けて良かった)と思った。そして開始予定時刻を少し過ぎて会場に着いたが、4〜50名は十分入れるはずの場所に、ほとんど人がいなかった。それから少しずつ増えて来て最終的には15名近くが集められたが、昨年より会場が広い割に集う人数が少なかったため、「会場内を満たす霊的パワーの密度が薄くなってしまったのは」残念だった。私達が到着して間もなく,日本民族総福音化運動協議会東京ブロック長の菅野先生の司会で特別祈祷会が始まった。讃美の後、菅野先生が聖書朗読のためにアナウンスをされた。それを聞いて

(この状況では、これを出来るのは私しかいない)と思い、先生に持ってきていた新共同訳聖書を手渡した。朗読の後、講師の日本民族総福音化運動協議会副総裁・日本キリスト教団高砂教会牧師 手束正昭先生が講演された。その中で、

「日本人伝道の突破口」として、早天祈祷会を毎日実施し、教会の「霊的吸引力」を増すことがポイントであり、「霊的吸引力」が増せば、(高砂教会もそうでるように)自然と人が集まるようになってくる。早天祈祷会に礼拝出席者の10%以上が集うようになると(教会の雰囲気等が)変わってくる。

と語られたことが特にこころに残った。それから、日本のリバイバルのため、諸教会が一つになるためなど、幾つかの課題について祈る時をもち、再び讃美を行って20時すぎに終了した。それからお茶菓子を囲んで交わりの時を持ち、20時30分頃に会場を後にした。

 

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